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* 波上宮献茶式並びに
  御家元古稀御祝茶会
  (2013年)
有馬家御庭焼 柳原焼


柳原焼は九州久留米有馬家9代藩主有馬頼徳公による御庭焼として知られています。御庭焼とは藩主の趣味にそって城内や別邸に築かれた窯にて焼かれた焼物で藩の産業振興を目的とした藩窯(御用窯)とは異なるいわば殿様のお楽しみ窯です。

頼徳公は藩主として文化9年(1812)から天保15年(1844)の間在職しましたが歴代藩主中、最も風流を愛し、書は水鴎、絵は華山、茶道は月船と号して藩の財政を意にもかけず文政2年(1819)年から天保12年(1841)にかけて、城の東・北部に広大な柳原園を構築し、ここに大規模な御鷹場、柳原御亭を始め多くの亭舎を設けました。また能を好み五穀神社境内に舞台を建て、江戸の北村季文、林大学頭に作成させた謡曲「柳原」「五穀」の上演も催しました。

柳原焼はこの柳原園の作業場「陶工軒」で天保3年に始められました。その開窯にあたって不白流3 代川上宗寿を西下させ茶陶の指導にあたらせています。柳原焼は公の好みを反映してそのほとんどが茶陶です。特に朝鮮の井戸、熊川、ととや、伊羅保、三島など、また瀬戸や唐津の写しも多く各地より陶工や陶土を求めたと言われています。宗寿は約半年ほど久留米に滞在、その間紀行文によれば殿様の鷹狩の伴をしたり、山伏の修験道場英彦山への登山を申し出、許されたりして、久留米の生活を楽しんだようです。

柳原焼は天保10年財政難を憂う家老衆の要請もあり、能舞台、御鷹場等を整理して間もない頃この窯も閉ざされましたが近年茶陶としての評価は高まり、中でも月船公の自作の茶碗は珍重され、地元の杉、高良杉の箱に納まった共箱や眉山の箱になるものが特に喜ばれています。


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久留米藩有馬家9代藩主 有馬頼徳公
久留米藩有馬家9代藩主
有馬頼徳公(よりのり)
久留米城跡
久留米城跡
月船公作そば茶碗
月船公作そば茶碗
眉山箱
眉山箱